春季作品展から <散り花>
野に咲く花も、花瓶に咲く花もみな等しく美しい。咲き誇る花の美しさもやがては散落ちてゆく。それは時に、それらが可憐であった時とはまた違った妖艶な美の鼓動にふれることがある。
ある朝、花はテーブルの上に散り落ちてしまった。散ってなお柔らかな透明感と艶を残している。つい今しがた散り落ちたであろう花は、その頭上で凛として咲き誇る花たちのそれと何も変わらないようにさえ思えたけれど、むしろその透明感は、強調されいっそ際立っていました。その美しく広がる白い花びらはどこか仄かな翳りを秘めているようで、それは茶褐色のテーブルから僅かに透けてくる儚さなのかもしれないと私は思いました。瞬間、ある言葉が瞬きの間に浮かび、脳裏に溶け込んでいった。
「 神の世界を模倣すると言うことの中には、なんと奥深く不可思議な神秘が隠されていることでありましょう。そしてその神秘がなければ自然の正確な模倣という以外の役割を持たない絵画においてはもちろんのこと、その他の科学においても取るべきところは何も無くなってしまうのです 」〜18世紀の画家ゴヤの言葉より〜
テーブルにぺたりと張りついた花は、その不可思議な神秘の中で、凛としたあの花のようでもあり、また違う花のようでもありました。私は、その花をすぐに片付ける気にはなれず。また、描かずにもいられませんでした。散り花は日をおうごとにその数を増やして行きく。
描かれたこの1枚はその全てです。
作品の中に宿る作家の記憶や感情、その魂がキャンバスの中で咲こうとする花に、水を与えまだ見ぬ創造の種を芽生えさせるのなら、花はやがて神秘の粉を振りまいて、春の暖かな風はそれを私たちへ届けるでしょう。
私はそんな夢を見ている。そして、そうであることを期待している。
2023年 赤木義光
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